酉の市と鳶職と木遣り――酉の市に寄せて

11月10日のきやり倶楽部ツアーに向けて、酉の市と鳶職、木遣りの関係について

 日本武尊は昔、江戸川を渡る際、コウノトリに教えられて浅瀬を渡ることが出来、この地を鴻之台と名づけたと言う伝説があります。国府神社にはコウノトリの嘴が祀られているとも伝えられます。鳥と因縁の深い日本武尊は武運長久、商売繁盛の神として信仰されています。星々の信仰と結びついて、妙見信仰との関連も見逃せないでしょう。妙見菩薩は鷲に乗って地上にやってきたと伝えられています。房総半島は日蓮宗の盛んな地ですが、日蓮宗は妙見信仰とも深く関係しています。千葉神社の守護神であり、千葉氏も、あるいは「南総里見八犬伝」も、色濃く妙見信仰の影響を受けています。

 

 酉の市は、日本武尊の亡くなったとされる日に開かれ、多くの人が、武具としての熊手を縁起物として求めます。

 

 海外にも秋の収穫祭、感謝祭が数多くありますが、酉の市も収穫祭としての一面も持っているようです。各地で酉の市のお祭りが行われていますが、東京の酉の市は、江戸時代、近郊農村から江戸にやってきた農民たちが収穫物や実用の農具を飾り、招福の吉兆を満載した飾り熊手などを市の縁起物とする都市型の祭りへと変化してきたものとの見方もできます。御神前には八つ頭が奉納されますが、日本武尊が東征の時に八族の頭を平定したことに由来するとされますが、収穫祭の思いもあったのでしょう。

 

 この酉の市、以前には鳶職の人たちが多く関わっていました。熊手や宝船も鳶の人たちが扱っていました。今でも、本堂や境内の造作や提灯の掛け外しは鳶の人たちが行います。鳶職人は高いところで働くことからトビのようであるとつけられましたが、鳥の信仰に携わるのはなにかの因縁でしょうか。酉の市では手締めの音が響き、時に鳶の皆さんによって木遣りが奉納されます。

 

酉の市木遣り流れる裏通り、と句にした人もいます。

 

きやり倶楽部継声会 会長 木ノ内博道

Facebookページ

きやり倶楽部Twitter